愧為読書誤一生

ブログという名の読書ノート

星新一「殉教」

 霊界にいる死者と通信することができる機械を発明した男が、人を集めたホールで実際に死んだ妻と話をし始める。デモンストレーションを終えた男はその場で自殺し、機械のマイクを通して霊界から「死というのは素晴らしい。肉体から解放された気分だ」と言う。人々は機械の前に列をなし、既に他界した知人と会話したあと、死の恐怖から解放されて次々と自殺していく・・・。

 ユートピアの反意語をディストピアというらしい。ジョージ・オーウェルの「1984年」を読んだのは、この小説を読んでから大分経ってからであるが、非常に似てると思った。小説の筋がではない。根底に流れている思想、つまりは星新一ジョージ・オーウェルの人生観である。厭世主義もここまでくると立派な芸術になるのだ。

 『このころになると、簡単なルールができていた。機械をはさんで、一方に死体の列がつづき、反対側には順番を待つ人々の列がつづいている。機械と話し終った者は、うしろの者にそれを手わたし、自分は死体の列に加わる。』自殺におけるこのような秩序は整備されていればいるだけ不気味である。星新一の簡潔な文体が、血の通わない手続きで粛々と勧められる自殺を見事に表現している。

 生き残った者たち、すなわち宗教も科学も人間も、ましては自分自身も信じることができない者たちが、これも粛々とただ「邪魔だ」という理由で死体をブルドーザーで片付けながら、この小説は終わる。つまり、死者が「死後の世界はいいものだ」と言うということは、もはや死を恐れる理由がなくなるわけである。これは必然的に生の無意味さの証明につながる。それでも生き残る者たちというのは、死後の世界を神話的に説く宗教を信用しないのは勿論として、死者と話せる機械(科学)、機械を通して語りかける故人である家族や知人(人間)、そしてそれを聞いた自分の耳と判断した脳(自分自身)をも信じないこととなるのだ。ブルドーザーを運転する男は、生き残った者たちで創られていく新しい世界が「どんな世界になるかしら」と問われ、「わかるものか」と答える。このブルドーザーは、何の比喩なのであろうか。

 

 新潮文庫 星新一「ようこそ地球さん」収録

ようこそ地球さん (新潮文庫)

ようこそ地球さん (新潮文庫)