愧為読書誤一生

ブログという名の読書ノート

安達正勝「死刑執行人サンソン」

 サンソン家は、六代にわたってパリの死刑執行人(ムッシュー・ド・パリ)を務めた。本書では特に四代目、「大サンソン」と呼ばれたシャルル・アンリ・サンソンについて書かれている。

 死刑の執行は、法に基づき、国王の委任を受けてなされる。処刑人は世襲であったが、差別は根強かったようだ。処刑人の家族は原則的に他地域の処刑人一族のものとしか結婚できず、町ですれ違えば眉をしかめられ、商店に買い物を拒否されることもあったようだ。

 フランス革命以前の処刑には様々な種類があった。絞首刑・斬首刑・火炙りの刑・車裂きの刑・八つ裂きの刑などである。重罪や特殊な罪に用いられる火炙り以下は別として、基本的には、庶民は絞首・貴族階級には斬首の刑が用いられたようだ。斬首刑は絞首に比べ、死刑囚の尊厳を保つことができるものであるらしい。日本には武士の切腹文化があったため、庶民が斬首刑であった。フランス革命によって自由・平等の思想が広まり、死刑囚の身分に関係なく用いられる処刑方法として開発されたのが、ギロチンなのである。

 サンソンは、自らも差別の対象となるような封建主義の社会に前々から疑問を感じており、革命の必要性を理解していた。しかし一方では敬虔なクリスチャンであり、国王を敬愛していた。そしてフランス革命が起きた。サンソンが望んでいたのは、国王と国民が一体となって、立憲君主制国家として、アンシャン・レジームを打破することであった。しかし革命は急進的に進み、ルイ16世は処刑台に上げられた。執行人はもちろん、シャルル・アンリ・サンソンであった。

 

 集英社新書「死刑執行人サンソンー国王ルイ十六世の首を刎ねた男」

死刑執行人サンソン ―国王ルイ十六世の首を刎ねた男 (集英社新書)

死刑執行人サンソン ―国王ルイ十六世の首を刎ねた男 (集英社新書)

 

 

ローラン・ビネ「HHhH プラハ、1942年」

 タイトルのHHhHは「Himmlers Hirn heißt Heydrich」の頭文字をとったものだそうだ。意味は「ヒムラーの頭脳はハイドリヒと呼ばれる」。

 ハインリヒ・ヒムラーナチス親衛隊(SS)の全国指導者である。親衛隊内部には親衛隊保安部(SD)がおかれており、その長官をヒムラーの右腕であるラインハルト・ハイドリヒが務めた。ハイドリヒはホロコースト計画の実質的な最高責任者であり、「第三帝国で最も危険な男」「金髪の野獣」と呼ばれ恐れられた。

 ハイドリヒはボヘミアモラヴィア保護領チェコ)の総督代理に就任し、プラハに移る。ロンドンに亡命しているチェコ政府は類人猿作戦と呼ばれる、ハイドリヒ暗殺計画を企てる。二人のパラシュート部隊員による、作戦の決行までを扱ったのがこの小説である。

 だが、ビネは通常の歴史小説ないしはドキュメンタリー小説にはしたくなかったようだ。史実を元にしつつ、小説をいかにして書き進めていくかについての、ビネの葛藤や模索がそのまま小説に盛り込まれているのだ。当然ながら歴史上の事件には、膨大な量のサブストーリーが付随し、無数の関係者が存在する。それをいかにまとめていくか、この事件を支え、援助した協力者を、何故小説家が取捨選択して書くことができようか。そして、ストーリーを成り立たせるためとはいえ、実在の人物にセリフを勝手に喋らせることなど許されるのであろうか。

 これらの苦悩が、作者が執筆を続ける日常生活に絡めて書かれている。つまり、創作をしながら、創作についてメタ視点から分析をしているのだ。執筆途中に読んだ本の感想が、現在の作者の執筆状況と関連付けて批評される。さらには感銘を受けた歴史書の文体・表現法を引用し、次の章ではその文体をそっくり模倣して書かれている。筒井康隆の書「短編小説講義」にある、この言葉が思い出される。『短編小説に限らず、小説というものは、いうまでもなく、何を、どのように書いてもいい自由な文学形式なのだ。』

 

東京創元社「HHhH プラハ、1942年」高橋啓

HHhH (プラハ、1942年) (海外文学セレクション)

HHhH (プラハ、1942年) (海外文学セレクション)

 

 

岩波新書「短編小説講義」

短篇小説講義 (岩波新書)

短篇小説講義 (岩波新書)

 

 

森鴎外「杯」

『温泉宿から皷が滝へ登って行く途中に、清冽な泉が湧き出ている。

 水は井桁の上に凸面をなして、盛り上げたようになって、余ったのは四方に流れ落ちるのである。

 青い美しい苔が井桁の外を掩うている。

 夏の朝である。』

 一文一文が短く、簡潔で力強い。漢詩の影響を受けた美文である。鴎外を敬愛していた三島由紀夫は、翻訳家ジョン・ベスターとの対談でこう話している。

『漢文の古典の教養がなくなってから日本人の文章というのは非常にだらしがなくなった。私は、日本語のいいものと、漢語のいいものと、なるたけ自分で好きな言葉、それだけで花束を作りたい』

 

 短編であり、ストーリーとしては単純なものだ。泉に七人の娘が集い、銘々が懐から銀の杯を取り出す。泉の水を飲んでいると、八人目の娘、西洋人の娘が来る。裳のかくしから取り出すのは、小さなくすんだ杯である。他の娘たちは嘲りそして憐み、自分のを貸そうかと申し出てくる。第八の娘はフランス語できっぱりとこう答えるのだ。

『「わたくしの杯は大きくはございません。それでもわたくしはわたくしの杯で戴きます」…』

 

 中盤にはこのような記述がある。

『銀の杯はお揃で、どれにも二字の銘がある。

 それは自然の二字である。

 妙な字体で書いてある。何か拠があって書いたものか。それとも独創の文字か。』

 この部分から、この小説は当時主流であった自然主義文学への対抗と考えられる。しかしそのような単純な主張を表現するような小説としてではなく、第八の娘の宣言は、鴎外のもっと普遍的な、人生の多岐にわたる命題を表しているのであろう。

 

 

 新潮文庫 森鴎外 「山椒大夫高瀬舟」収録

山椒大夫・高瀬舟 (新潮文庫)

山椒大夫・高瀬舟 (新潮文庫)

 

 

大江健三郎「万延元年のフットボール」

 『夜明けまえの暗闇に眼ざめながら、熱い「期待」の感覚をもとめて、辛い夢の気分の残っている意識を手さぐりする。内臓を燃えあがらせて嚥下されるウイスキーの存在感のように、熱い「期待」の感覚が確実に躰の内奥に回復してきているのを、おちつかぬ気持ちで望んでいる手さぐりは、いつまでもむなしいままだ。…』

 冒頭からこうだ。手ごわい小説であることがわかる。初期短編「死者の奢り」など、大江作品はこのような重々しく息苦しい始まりが多い。軽い気持ちで手を出した読者を突き放すかのようで、書き手の覚悟・意気込みが伝わってくる。

 物語はグロテスクな精神構造を持った人物たちを中心に進んでゆく。顔を朱色に塗り、肛門に胡瓜を挿して全裸で縊死した友人。その友人を想いながら、裏庭の穴ぼこにうずくまる僕。障害児を出産し、現実逃避のためにアルコールに溺れる妻。学生運動に参加した後、アメリカを放浪してきた弟。弟の誘いにより、僕は妻を連れて自らの出生地である四国の谷間の村に向かう。弟は青年たちを集めてフットボールチームを組織し、天皇と呼ばれる朝鮮人が経営するスーパーマーケットに対しての暴動を指揮する。それは万延元年、曾祖父の弟が率いた一揆になぞらえたものであった。

 村の閉塞感と暴動による開放、過去と現在、行動する弟と傍観する僕など、様々な対比が用いられた重厚なストーリーである。また、筆者の出身地である大瀬村の神話化という、大江健三郎が以後追求していくこととなる文学的テーマが具体的に形作られていった作品でもある。

 

講談社文芸文庫万延元年のフットボール

万延元年のフットボール (講談社文芸文庫)

万延元年のフットボール (講談社文芸文庫)

 

 

モリエール「人間ぎらい」

 フランス貴族たちの社交界を舞台とした戯曲。

 主人公のアルセストは社交界を憎んでいた。本人の前ではお世辞を並べ立て、いなくなると悪評の噂に悪口三昧…。そんな俗物たちにうんざりしていたアルセストだが、なぜかそれらの中心人物である未亡人セリメーヌに恋をしている。

 登場人物はすべて典型人物である。劇画化され、現実離れしているが、それでもどこか実際に存在しそうに思えてしまう。読む人によって、それぞれの人物に自分の知人を重ね合わせてしまうであろう。これはモリエールの卓越した人物描写による。名作が時代を越えて読まれるのは、ここに理由があるのではないか。

 喜劇であるため、テンポよくあっさりと書かれている。しかしアルセストの厭世的な言動は悲痛であり、そしてセリメーヌの社交的な振る舞いにもどこか虚無的なものがある。行間からは、モリエールの人間嫌いが滲み出ているのだ。

 

 

新潮文庫「人間ぎらい」内藤濯

人間ぎらい (新潮文庫)

人間ぎらい (新潮文庫)

 

 

筒井康隆「霊長類 南へ」

 あとがきには最終戦争SFと書かれている。終末SFという言い方もあるが、要するに世界の終わりを描いたものだ。このテーマで書かれた小説は無数にあるのではないか。それほど書きやすいテーマであるのだが、そこは筒井康隆である。ありきたりな内容になるはずがない。

 

 中国のミサイル基地内で、技術兵間にいざこざが起きる。罵倒から殴り合いになり、コントロールパネルに倒れかかった拍子にミサイル発射ボタンが押されてしまう。時は冷戦下。米国とソ連それぞれの基地に核ミサイルが落ちる。お互いに誤解したまま、ホットラインで宣戦布告を行い、地上最大の『パイ投げ』合戦が始まる・・・。

 いささか非現実的でくだらない開戦となるが、最終戦争などというものはこのような始まり方がふさわしいのかもしれない。そしてここからが筒井康隆の本領発揮である。人類滅亡に対して毅然と立ち向かうヒーロー、それを支えるヒロイン、そして二人のラブロマンス・・・。そういったものは当然一切描かれない。核汚染を逃れるために、おもに日本を舞台にひたすら人々は南に逃げ惑う。街や道路は混沌とし、誰もが他人の尊厳を無視して殺人すら辞さずに移動する。国会では首相以下主要閣僚のみ自衛隊のヘリで逃げようとし、後を追う他の議員やマスコミと殴り合い、もみ合い、殺し合う。道路は事故車で溢れ、歩行者は容赦なくひき殺される。

 中でも壮絶なのは晴海埠頭である。南極観測船『ふじ』には群衆が蟻のようにたかり、先に乗り込んだ人間は次々と潰されていく。

 『…上へ、さらに上へと積み重なり続ける人間の山の、その底では、すでに圧死した人間たちのからだが音を立てて潰れ続けていた。助骨は折れ続けていた。血は噴き出し続けていた。血と汗が泡立ちながらまじりあい、潰れた肉体が泥のようにこねまわされていた。抱き合った母親と赤ん坊の助骨と助骨が、互いのからだの中へ、入れこになって食いこんだ。抱き合った恋人たちの胸と胸が同時に平たくなり、内臓が口と肛門からとび出して混ざりあった。専務取締役の柔らかな腹部に、八百屋のおかみの折れた足の骨が、どこまでもどこまでも、深く突き刺さっていった。…』

 南極点アムンゼン・スコット基地に辿りついたイギリス南極観測隊員バラードは、人類最後のひとりとして、「Nonsense……」と終焉の言葉を呟いて死ぬ。

 

 神を描いた長編「モナドの領域」で、筒井康隆はGODにこう語らせている。

 『…お前さんたちはまさか、このまま人類の繁栄が永遠に続くと思っているんじゃあるまい。いずれは絶滅する。それは確かなことだ。―中略―ただこれだけは言っておこう。お前さんたちの絶滅は実に美しい。お前さんたちには不本意だろうが、わしにとってはまことに美しいのだ。…』

 筒井康隆にとっての美しい絶滅とは、このようなドタバタをいうのであろうか。

 

 

 出版芸術社筒井康隆コレクションⅡ 霊長類 南へ」日下三蔵・編 収録

 

 新潮社「モナドの領域」筒井康隆

モナドの領域

モナドの領域

 

 

ジョージ・オーウェル「パリ・ロンドン放浪記」

 ジョージ・オーウェルが、パリとロンドンの貧民街での生活を綴ったルポルタージュ文学である。

 オーウェルは努めて客観的にこの経験を記録している。そのため、貧民に対する考えなどは時折語られているが、自身の境遇などはほとんど書かれていない。なのでオーウェルが何故スラムに暮らすことになったかについては、訳者のあとがきから知ることとなる。

 大学卒業後、インドで警察官として勤務していた(彼は英国人である。当時インド帝国は英国の植民地であった)オーウェルは、退職して作家を目指し、パリに渡ったそうだ。当時で有名大学を卒業しているのであれば、生まれながらの貧民ではなく、むしろ裕福な家庭で育ったのであろう。つまり意図的に貧困生活を送ったことになる。後にスペインの内戦の時には、革命軍に参加したことも考えると(この経験は「カタロニア讃歌」という作品にまとめられる)、好奇心からの行動にも思われる。

 パリで所持金が底をつき、生活のために皿洗いとしての職を探すところからこの放浪記は始まる。滞納している家賃を巡っての大家との駆け引き、質屋での攻防、貧民街レストランの馬鹿騒ぎに加え、革命で祖国を追い出されたロシア将校、悪徳に魅せられて自堕落な生活を送るフランス名家の息子などとても紹介しきれないほどの個性的な登場人物に溢れている。さらには採用されたホテルXでの1日13時間に及ぶ労働、頂点を支配人として最下層に皿洗いを置くピラミッド型の権力構造などが、『好奇心を起こして一日に何回「バカヤロウ」と呼ばれたか数えてみたら、三十九回だった。』といったユーモラスな記述を交えて事細かに描写されている。

 ロンドンに場所を移すと少し趣が変わり、浮浪者の話になる。当時の英国では浮浪者の収容所(スパイク)というものが各地に用意されていたが、同じ収容所に連続で泊るのは禁止されていた。そのため浮浪者は、毎日毎日他の収容所へと移動せねばならなかったのだ。浮浪者同士では、各地のスパイクの情報交換をしている。

 

『「そうさな、ここはココア・スパイクだよ。紅茶スパイクもあれば、ココア・スパイクもある。スキリー・スパイクだってある。ありがてえことに、ロムトンじゃスキリーは出さねえ――とにかく、前におれがいたときにゃ出さなかった。ずっとヨークまで行って、ウェールズを回ったんでよ」

 「スキリーってのは何かね」わたしは聞いた

 「スキリー?缶に湯を入れて、底にひでえオートミールがちょこっとへえってる奴よ。そいつがスキリーさ。スキリーをよこすスパイクは最低だね」』

 

 パリ篇ほどの派手さはないが、当時の貧民の生活は非常に興味深い。

 オーウェルインド帝国で警察官として勤め、パリ・ロンドンでスラムを回り、さらにはスペイン内戦に参加した。有名な「1984」や「動物農場」などの小説には、これらの経験が色濃く影響を与えているように思える。

 

 

 岩波文庫「パリ・ロンドン放浪記」小野寺健

パリ・ロンドン放浪記 (岩波文庫)

パリ・ロンドン放浪記 (岩波文庫)