愧為読書誤一生

ブログという名の読書ノート

ジャン・ジュネ「泥棒日記」

 三島由紀夫は評論「ジャン・ジュネ」でこのように書いている。

 『サルトルが、ジュネは悪について書いたのではなく、悪として書いた、と言っているのは正しい。』

 ジュネはパリで娼婦の腹から生まれた。父親はわからず、母親からも生後七カ月で捨てられた。施設にも里親にも馴染めず、男娼と泥棒をしながら各地を放浪する。「泥棒日記」はその経験を描いた自伝小説である。

 経歴だけでも凄まじいが、怪物作家と呼ばれる理由はそれだけではない。ジュネは自らが身を置いた男色・泥棒・裏切りの世界を描きながら、それを聖なる高みにあげようとした。つまり、価値観の転覆を試みたのである。

 ジュネは各地を遍歴しながら、さまざまな男たちを恋し、結ばれ、やがて裏切る(あるいは裏切られる)。泥棒をし、身体を売る。牢獄に入れられても、それがジュネにとってなんであろう?彼は檻の中でも同じように過ごし、刑期が終わればまた同じように放浪を始める。彼には自身の哲学があり、この本はほとんどがその記述に充てられている。しかしそれは非常に象徴的で、まとまった体系を持たない。「泥棒日記」が難解であるのは当然である。倒錯した価値観の持ち主が描いた主観的な象徴の表現が、当人以外にすんなりと理解できるはずがない。

 ではこの小説はいかにして読むべきか?密教の秘められた祭儀を覗き見るように、距離を置いて客観的に読むべきであろう。主観的に読むということは、ジュネの密教に入信することに他ならない。

 

新潮文庫「泥棒日記」朝吹三吉訳 

泥棒日記 (新潮文庫)

泥棒日記 (新潮文庫)

 

 

三島由紀夫の評論「ジャン・ジュネ」は新潮文庫「小説家の休暇」に収録

小説家の休暇 (新潮文庫)

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