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愧為読書誤一生

ブログという名の読書ノート

森鴎外「杯」

『温泉宿から皷が滝へ登って行く途中に、清冽な泉が湧き出ている。

 水は井桁の上に凸面をなして、盛り上げたようになって、余ったのは四方に流れ落ちるのである。

 青い美しい苔が井桁の外を掩うている。

 夏の朝である。』

 一文一文が短く、簡潔で力強い。漢詩の影響を受けた美文である。鴎外を敬愛していた三島由紀夫は、翻訳家ジョン・ベスターとの対談でこう話している。

『漢文の古典の教養がなくなってから日本人の文章というのは非常にだらしがなくなった。私は、日本語のいいものと、漢語のいいものと、なるたけ自分で好きな言葉、それだけで花束を作りたい』

 

 短編であり、ストーリーとしては単純なものだ。泉に七人の娘が集い、銘々が懐から銀の杯を取り出す。泉の水を飲んでいると、八人目の娘、西洋人の娘が来る。裳のかくしから取り出すのは、小さなくすんだ杯である。他の娘たちは嘲りそして憐み、自分のを貸そうかと申し出てくる。第八の娘はフランス語できっぱりとこう答えるのだ。

『「わたくしの杯は大きくはございません。それでもわたくしはわたくしの杯で戴きます」…』

 

 中盤にはこのような記述がある。

『銀の杯はお揃で、どれにも二字の銘がある。

 それは自然の二字である。

 妙な字体で書いてある。何か拠があって書いたものか。それとも独創の文字か。』

 この部分から、この小説は当時主流であった自然主義文学への対抗と考えられる。しかしそのような単純な主張を表現するような小説としてではなく、第八の娘の宣言は、鴎外のもっと普遍的な、人生の多岐にわたる命題を表しているのであろう。

 

 

 新潮文庫 森鴎外 「山椒大夫高瀬舟」収録

山椒大夫・高瀬舟 (新潮文庫)

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