愧為読書誤一生

ブログという名の読書ノート

芥川龍之介「或阿呆の一生」

 親友の久米正雄に託された遺稿である。或阿呆とは芥川自身のことだ。序文にはこうある。

 『…僕は今最も不幸な幸福の中に暮らしている。しかし不思議にも後悔していない。ただ僕のごとき悪夫、悪子、悪親を持ったものたちをいかにもきのどくに感じている。ではさようなら。僕はこの原稿の中では少なくとも意識的には自己弁護をしなかったつもりだ。』

 芥川には「或旧友へ送る手記」という遺書が別にある。この小説は、自死を前にした芥川が、三十五年の生涯を通じていかに阿呆であったかを顧みたものだ。五十一節に分けられた短文を通して、狂人の母親、病身の自分、自らの罪などが極めて部分的に語られていく。あくまで芥川の回想であるため、事実関係について詳しいことは語られていない。読者は憶測で情報の隙間を埋めていくことになるだろう。

 印象的なのは、数節に渡って登場する狂人の娘である。芥川はこの狂人の娘と関係を持っていたらしい。母親が狂人であったことと無関係ではなさそうだ。しかしこのことが後悔・罪の意識となり、厭世的なものの見方につながっていく。三十一節の大地震では、関東大震災後の焼け跡に佇んだ芥川は、酸鼻な子供の死骸を眺めて『誰もかも死んでしまえばよい』と思う。

 最終節は強烈である。

 『五十一 敗北

 彼はペンを執る手も震え出した。のみならず涎さえ流れ出した。彼の頭は0・八のヴェロナアルを用いて覚めたのちのほかは一度もはっきりしたことはなかった。しかもはっきりしているのはやっと半時間か一時間だった。彼はただ薄暗い中にその日暮らしの生活をしていた。いわば刃のこぼれてしまった、細い剣を杖にしながら。』

 芥川龍之介は、精神も身体もボロボロになりながら、自死の最後まで小説家としての感受性と分析力だけは失わず、死を前にした自身の精神状態を明晰に書き残した。ペンという名の、刃のこぼれてしまった細い剣を杖にしながら。

 

 

 新潮文庫 芥川龍之介「河童・或阿呆の一生」収録

河童・或阿呆の一生 (新潮文庫)

河童・或阿呆の一生 (新潮文庫)