愧為読書誤一生

ブログという名の読書ノート

フォークナー「アブサロム、アブサロム!」

 アーネスト・ヘミングウェイウィリアム・フォークナー。共にアメリカのロストジェネレーション世代を代表する作家である。

 ヘミングウェイは記者として第一次世界大戦・スペイン内戦に積極的に関わった。世界中を飛び回り、その経験を下地に小説を書いた。外へ、外へと意識を向けた作家だった。対してフォークナーはアメリカ南部に生まれ、そこからほとんど出ることがなかった。そしてひたすらにアメリカ南部を書いた。ほとんどの小説が、自らの故郷をモデルにした架空の町を舞台にしたものだった。そこで、アメリカ南部の差別と暴力をひたすらに書いた。内へ、内へと意識を向けた作家だったのだ。

 

 「アブサロム、アブサロム!」はアメリカ南部に突然現れたトマス・サトペンの成りあがりと没落を、複数の語り手が重層的に積み上げる構成である。各語り手によって記憶違いや未知の話・それぞれの偏見もあり、フォークナーの別作品「響きと怒り」の登場人物でもあるクエンティン・コンプソンがハーバード大のルームメイトシュリーブとともにこの物語を再解釈・再構成していき、語りながら自らも半世紀前のその時代に生きているかのような錯覚に陥っていく。

 小説のほぼ全てを構成する、それぞれの人物による語りは、時系列も焦点を当てる人物もバラバラで、個人の抱く怨念や思い込みによって語られる内容がかなり異なり、限定されたものとなる。読者はバラバラのピースが次第に組み合わされていくのを楽しみながら読み進めることとなる。これはフォークナーが長編で得意とした手段だ。

 

 クエンティンの故郷の呪われた歴史を共に解き明かしたカナダ出身のシュリーブは、クエンティンに最後に尋ねる。

 『「…ところで、もう一つだけ、僕から君に訊きたいことがあるんだ。なぜ君は南部を憎んでいるの?」

 「憎んでなんかいないさ」とクエンティンは、素早く、直ちに、即座に言った、「憎んでなんかいるものか」と彼は言った。憎んでなんかいない と彼は冷気の中で、ニューイングランドの鉄のような暗闇の中で喘ぎながら考えていた、憎んではいない。憎んでなんかいない!憎んでなんかいるものか!憎んでなんかいるものか!

 

 フォークナーは自らの故郷の暗部をひたすらに描いた。その排他性、保守性、南北戦争の敗北、奴隷制、そして黒人差別。しかし彼は死ぬまでそこに住み続けた。フォークナーはアメリカ南部を決して憎んでなどいなかったのだ。

 

岩波文庫アブサロム、アブサロム!」藤平育子訳

アブサロム、アブサロム!(上) (岩波文庫)

アブサロム、アブサロム!(上) (岩波文庫)

 
アブサロム、アブサロム!(下) (岩波文庫)

アブサロム、アブサロム!(下) (岩波文庫)