愧為読書誤一生

ブログという名の読書ノート

夏目漱石 「彼岸過迄」

 まえがきにこうある。

『…かねてから自分は個々の短篇を重ねた末に、その個々の短篇が相合して一長篇を構成するように仕組んだら、新聞小説として存外面白く読まれはしないだろうかという意見を持していた。…』

 この「彼岸過迄」はこの構想に基づく長篇であり、各章は内容として続いているがそれぞれ単独に読んでも楽しめるようになっている。その中でも異色なのが「雨の降る日」である。

 岩波文庫版の注釈には、この章について詳しい説明がある。漱石は数え年二歳の五女雛子を突然の死で亡くしている。本人の手紙によると、この章は、雛子への鎮魂として書かれたようだ。

 この小説では宵子という名前にされている五女は、『…松本夫婦は取って二つになる宵子を、指輪に嵌めた真珠のように大事に抱いて離さなかった。彼女は真珠のように透明な青白い皮膚と、漆のように濃い大きな眼を有って、前の年の雛の節句の前の宵に松本夫婦の手に落ちたのである…』と愛情たっぷりに描かれている。姪に結ってもらったリボンを、よたよた歩いて「イボン、イボン」と言いながら父母に自慢しに行くシーンも、実際の出来事をそのまま書いたのであろう。

 雨の降る日に、父は来客の相手をするために客間にこもる。姪が宵子に食事をとらせることになる。匙の持ち方を教えられ、頭を傾げて「こう?こう?」と聞き直していた宵子は、突然うつ伏せに倒れてそのまま息を引き取る。それから親戚の慰問、骨上までの一連の描写がなされ、一段落ついた膳の場面となる。父は言う。『「己は雨の降る日に紹介状を持って会いに来る男が厭になった」』

 先に述べた漱石の手紙にはこうある。『「『雨の降る日』につき小生一人感懐深き事あり、あれは三月二日(ひな子の誕生日)に筆を起こし同七日(同女の百カ日)に脱稿、小生は亡女のために好い供養をしたと喜びおり候」』

 日本一の文豪の筆によって供養されたとは、雛子さんは知る由もないだろう。

 

 岩波文庫彼岸過迄

彼岸過迄 (岩波文庫)

彼岸過迄 (岩波文庫)