ウラジーミル・ソローキン「青い脂」
『一月二日
やあ、お前。
私の重たい坊や、優しいごろつきくん、神々しく忌まわしいトップ=ディレクトよ。お前のことを思い出すのは地獄の苦しみだ、リプス・老外、それは文字通り重いのだ。
しかも危険なことだ――眠りにとって、Lハーモニーにとって、原形質にとって、五蘊にとって、私のV2にとって。
まだシドニーにいて、トラフィックに乗っていた頃、私は思い出しはじめた。皮膚を透かして輝くお前の助骨を、お前のほくろ、あの《修道士》を、お前の悪趣味なタトゥー=プロを、お前の灰色の髪を、お前の秘密の競技を、「俺の星にキスしな」というお前の汚らわしい囁きを。
いや、違う。
これは思い出じゃない。これは私の一時的な、カッテージチーズみたいな脳=月食プラスお前の腐ったマイナス=ポジットだ。』
冒頭からこの調子である。物語の前半は近未来が舞台となり、ロシア語に科学的な新語と他国の言語、更には未来の俗語が混交してこのような文章になっている。巻末に筆者による用語集が付いているが、よくわからない。
ストーリーは、ロシア文豪のクローンに小説を執筆させると彼らの肉体に蓄積される「青脂」を軸に展開される。頭と手のみ異常に大きいトルストイ4号や、性別が曖昧でこめかみの骨と鼻の骨がのこぎりの柄の形に癒着しているドストエフスキー2号に執筆をさせるのだが、その作品はクローン元の文豪が書いたもののパロディになっている。
『ドストエフスキー2号
レシェトフスキー伯爵
七月も末のある日の真昼の二時過ぎ、途方もなく雨模様が続き、夏らしくなく冷え冷えした頃あい、道中の泥でさんざんに汚れた幌馬車が、一対の見てくれの悪い馬に曳かれてA橋を駆け抜け、G通りの三階建ての灰色の家の車寄せの脇に止まったが、その様子は全体が途方もなくどうもあんまりで、そのニワトリのコトバときたらニワトリのコトバときたらまったく良からざるものだった。』
国際科学者チームによって無事採取された青脂は、大地交合者教団のテロリストに奪われてしまう。教団は地下に隠れ家を持っており、上役に青脂を渡すと、その者はさらに地下に降りて自分より地位の高い者に青脂を渡していく。最深部にはゾロアスター教の遺跡があり、ゾロアスター教徒たちの発明したタイム・マシンが残されている。青脂はタイム・マシンによってなぜか1954年の過去に送られるが、そこはスターリンのソ連とヒトラーのナチスドイツに二分されている世界であった。
小説技術の高さを見せつける文豪を模倣した文体、青脂なる物質をめぐる奇想天外な着想による荒唐無稽な物語展開に、ヒトラーの幼児性愛やスターリンとフルシチョフの恋人セックスなどの異常性。前衛小説の極地ともいえるこの作品の前では、学校教育で教わったように小説から人生の教訓を得ようとする読者などは手も足も出ないであろう。「なにが伝えたいのかわからない」などという批評には何の価値もない。
河出文庫「青い脂」望月哲男・松下隆志訳