ローラン・ビネ「HHhH プラハ、1942年」
タイトルのHHhHは「Himmlers Hirn heißt Heydrich」の頭文字をとったものだそうだ。意味は「ヒムラーの頭脳はハイドリヒと呼ばれる」。
ハインリヒ・ヒムラーはナチス親衛隊(SS)の全国指導者である。親衛隊内部には親衛隊保安部(SD)がおかれており、その長官をヒムラーの右腕であるラインハルト・ハイドリヒが務めた。ハイドリヒはホロコースト計画の実質的な最高責任者であり、「第三帝国で最も危険な男」「金髪の野獣」と呼ばれ恐れられた。
ハイドリヒはボヘミア・モラヴィア保護領(チェコ)の総督代理に就任し、プラハに移る。ロンドンに亡命しているチェコ政府は類人猿作戦と呼ばれる、ハイドリヒ暗殺計画を企てる。二人のパラシュート部隊員による、作戦の決行までを扱ったのがこの小説である。
だが、ビネは通常の歴史小説ないしはドキュメンタリー小説にはしたくなかったようだ。史実を元にしつつ、小説をいかにして書き進めていくかについての、ビネの葛藤や模索がそのまま小説に盛り込まれているのだ。当然ながら歴史上の事件には、膨大な量のサブストーリーが付随し、無数の関係者が存在する。それをいかにまとめていくか、この事件を支え、援助した協力者を、何故小説家が取捨選択して書くことができようか。そして、ストーリーを成り立たせるためとはいえ、実在の人物にセリフを勝手に喋らせることなど許されるのであろうか。
これらの苦悩が、作者が執筆を続ける日常生活に絡めて書かれている。つまり、創作をしながら、創作についてメタ視点から分析をしているのだ。執筆途中に読んだ本の感想が、現在の作者の執筆状況と関連付けて批評される。さらには感銘を受けた歴史書の文体・表現法を引用し、次の章ではその文体をそっくり模倣して書かれている。筒井康隆の書「短編小説講義」にある、この言葉が思い出される。『短編小説に限らず、小説というものは、いうまでもなく、何を、どのように書いてもいい自由な文学形式なのだ。』
岩波新書「短編小説講義」