愧為読書誤一生

ブログという名の読書ノート

無限の世界観〈華厳〉 仏教の思想Ⅵ

 華厳と天台の相違点をあげる際に、性起と性具という言葉が使われる。 

 

 『天台は「具」の一字、華厳は「起」の一字で表される。個物は普遍的なほとけのいのちを本具するとみるのが天台、あらゆるものは普遍的なほとけのいのちの表現活動であるとみるのは華厳である。天台は凡夫の立場からほとけのいのちをみ、華厳はブッダの立場から凡夫をながめるのである。』

 

 ここにあるのは力点の違いである。我々はみな仏性をもっている。俗界の立場から仏へと階段をあがっていくのが天台で、仏の立場から俗界に下っていくのが華厳の教えである。この相違は、後の禅宗における相違と一致する。臨済禅は天台、曹洞禅は華厳の性格をもつ。

 天台と華厳は、哲学仏教であった。その高度に組織化された緻密な哲学体系は、中国の知識人層に受け入れられた。日本においては、東大寺を建立した聖武天皇や、明恵上人に引き継がれた。実践としての浄土信仰と禅が民衆に受け入れられていくとき、華厳思想は大きな役割を果たすこととなる。

 

 角川ソフィア文庫 「仏教の思想6 無限の世界観〈華厳〉」