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愧為読書誤一生

ブログという名の読書ノート

江戸川乱歩「鏡地獄」

江戸川乱歩

 鏡の魅力に取りつかれた男が、庭に実験室を建築する。両親を病気で亡くして莫大な財産を受け継ぎ、男はそこで異様な実験を行い始める。

 望遠鏡で人家の中を盗み見したり、虫を傷つけて呻くさまを顕微鏡で眺めるだけでは飽き足らず、上下左右を鏡の一枚板で張りつめた鏡の部屋を作る。

『六方を鏡で張りつめた部屋のまん中に立てば、そこには彼の身体のあらゆる部分が、鏡と鏡が反射し合うために、無数の像となって映るものに違いありません。彼の上下左右に、彼と同じ数限りない人間が、ウジャウジャと殺到する感じに違いありません。』

 乱歩の文体によって不気味さが増しているが、この程度であれば、科学技術館などでも体験できそうなことである。男はその部屋に彼女を連れ込み、二人きりで鏡の国に遊ぶ。

『「あの子のたったひとつの取柄は、からだじゅうに数限りもなく、非常に深い濃やかな陰影があることだ。色艶も悪くはないし、肌も濃やかだし、肉付きも海獣のように弾力に富んではいるが、そのどれにもまして、あの女の美しさは、陰影の深さにある」』

 陰影にこそエロスが宿る、これはまさに谷崎潤一郎の「陰翳礼讃」における思想そのものである。江戸川乱歩が谷崎の影響を受けていることが、この描写からも感じられる。

 男の異様な病癖はますます募り、財産をつぎ込んで庭の中央にガラス工場を建て、技師や職工を雇う。望む種類の鏡を自由に製造できるようになり、自らの夢想を次々に実現していくわけだが、この異世界の表現が実に美しい。

『ある時は部屋全体が、凹面鏡、凸面鏡、波形鏡、筒型鏡の洪水です。その中央で踊り狂う彼の姿は、或いは巨大に、或いは微小に、或いは細長く、或いは平べったく、或いは曲がりくねり、或いは胴ばかりが、或いは首の下に首がつながり、或いはひとつの顔に眼が四つでき、或いは唇が上下に無限に延び、或いは縮み、その影がまた互に反復し、交錯して、紛然雑然、まるで狂人の幻想です。』

 悪夢のような狂気と美の混合が、極めて現実的な物理現象である、鏡の反射を利用して表現されている。よく、鏡を異世界の入り口とするファンタジーがあるが、乱歩はこの話に一切非現実的な内容を含ませなかった。

 男は職人に、内部を凹面鏡で覆い、強い光の小電灯を設置し、人がその中に入れるようにした玉を作らせる。中から出られなくなった男は発狂し、ゲラゲラと笑いながら部屋の中を転がり続ける。ガラス玉の内部がいかなる小宇宙であったか、読者の想像を掻き立てながらこの短編は終わる。

 

 新潮文庫 江戸川乱歩 「江戸川乱歩傑作選 」収録

江戸川乱歩傑作選 (新潮文庫)

江戸川乱歩傑作選 (新潮文庫)