愧為読書誤一生

ブログという名の読書ノート

三島由紀夫「金閣寺」

 1950年7月2日、青年僧の放火によって金閣寺が焼失した。大谷大学の学生であった吃音症の犯人は、「世間を騒がせたかった」「社会への復讐のため」と動機を語った。三島由紀夫の「金閣寺」はこの事件をモデルとしている。

 独白体で綴られたこの小説は、吃音症を持った少年の社会からの疎外感、そして彼にとって唯一の心の拠り所であり、美なるものの象徴である金閣寺に対しての歪んだ愛情と憎悪が、森鴎外の文体を意識した清澄かつ知的な文体によって、凄まじい迫力で書かれている。

 三島由紀夫の小説は、明確な二項対立が含まれることが多い(純日本的なものと西洋、肉体と精神など)。「金閣寺」では、認識と行為の対立が考察されている。同級生であり語り手に様々な影響を与えた内翻足の柏木は、主人公の企みを察してこう忠告する。

 

 『「俺は君に知らせたかったんだ。この世界を変貌させるものは認識だと。いいかね、他のものは何一つ世界を変えないのだ。認識だけが、世界を不変のまま、そのままの状態で、変貌させるんだ。認識の目から見れば、世界は永久に不変であり、そうして永久に変貌するんだ。……(略)』

 これに語り手は敏感に反応する。

 『「生を耐えるのに別の方法があると思わないか」

「ないね。あとは狂気か死だよ」

「世界を変貌させるのは決して認識なんかじゃない」と思わず私は、告白とすれすれの危険を冒しながら言い返した。「世界を変貌させるのは行為なんだ。それだけしかない」』

 

 行為とは彼にとって、美の象徴であり不朽の存在である金閣寺を焼き滅ぼすことだ。柏木の忠告には従わず、独自の論理と思考パターンにより自らの計画を正当化していく。着々と準備をすすめるなか、亡き父と僧堂の友であった、桑井禅海和尚と二人になる機会が訪れた。ここで、青年は生まれて初めての感情に見舞われる。

 

 『……熱い銚子を捧げて帰って来るとき、私は嘗て知らなかった感情が生れた。一度も人に理解されたいという衝動にはかられなかったのに、この期に及んで、禅海和尚にだけは理解されたいと望んだのである。……』

 

 青年は、遂に自分を抑えきれずに言う。

 

 『「私を見抜いて下さい。」ととうとう私は言った。「私は、お考えのような人間ではありません。私の本心を見抜いて下さい」』 

  

 和尚に『「見抜く必要はない。みんなお前の面上にあらわれておる」』と言われた語り手は、大いなる勇気を得て金閣を燃やす。

 

 理解が困難な犯罪者の心理を世間向けに分かりやすく解釈するようなことを、三島由紀夫はしなかった。答えを出せるような問題であれば、文学作品にする必要はない。

 

 

新潮文庫金閣寺三島由紀夫

金閣寺 (新潮文庫)

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