三島由紀夫「仮面の告白」
小説の書き手である主人公が、幼少期から青年に至るまでの性遍歴を回顧する形で語られていく。
病弱な身体に生まれた<私>は、肉体労働に励む男たちに憧れにも似た倒錯した欲望を感じる。日焼けした筋骨隆々の肉体に深い憧憬を抱きながら、その身体に槍やナイフが深く喰い込み、鮮血が流れ出る場面を想像しながら<悪習>に浸る。
大学生となった<私>は、友人の妹に愛情を抱く。この愛情というものが、実に複雑な構造を持っている。主人公は女性に肉欲を感じたことはなかった。『およそ何らの欲求ももたずに女を愛せるものと』信じていたのだ。自らの性癖を隠すために、人生を舞台と考え、日常生活を演技によって過ごすことを当然と思っていた<私>は、他のみなと同じく女性を愛し、やがては結婚するであろうことを確信していた。このことと、自らの欲望に、なんら矛盾はないと信じていたのだ。
しかし決定的な場面が訪れる。双方の両親もほぼ公認の関係となった二人は、順当な流れに沿って、何度目かの逢瀬で、木立の陰で抱き合う。
『私は彼女の唇を唇で覆った。一秒経った。何の快感もない。二秒経った。同じである。三秒経った。――私には凡てがわかった。』
『逃げなければならぬ。一刻も早く逃げなければならぬ。私は焦慮した。浮かぬ面持を気どられまいために、私は常よりも陽気を装った。』
これ以上、人生の演技を続けていくことが不可能であることが分かってしまったのだ。戦争末期のことである。<私>は空襲による死を期待しながらも、わずかな希望を捨てきれずに、悪所通いをしている友人に同行することとなる。
『娼婦が口紅にふちどられた金歯の大口をあけて逞しい舌を棒のようにさし出した。私もまねて舌を突き出した。舌端が触れ合った。……余人にはわかるまい。無感覚というものが強烈な痛みに似ていることを。私は全身が強烈な痛みで、しかも全く感じられない痛みでしびれると感じた。私は枕に頭を落とした。
十分後に不可能が確定した。恥じが私の膝をわななかせた。』
これは三島由紀夫の自伝的小説である。自らの宿命を改めて見つめなおし、詳細に解剖して小説としてしまった。宿命は、彼にとって最初の書き下ろし長編であるこの小説により、見事に芸術へと昇華している。