愧為読書誤一生

ブログという名の読書ノート

ヘミングウェイ「日はまた昇る」

 第一次世界大戦後のパリには、アメリカの画家や詩人、作家などの芸術家によるコミュニティが形成されていた。多くは酒に溺れた自堕落な生活を送っており、彼らのためにサロンを開いていたガートルード・スタインには、ロストジェネレーション(自堕落な世代)と呼ばれていた。この言葉がそのままエピグラフとして引用されている。

 

 パリで特派員として勤める語り手のジェイク・バーンズは、戦争中の負傷で性的不能になっている。元の彼女であり性的に奔放なブレットと、その他の友達たちとの、スペインで開催される牛追い祭りへの参加を中心に話は進んでいく。

 実質的な主人公であるブレットは、男なら誰でも夢中になる魅惑的な美女である。彼女に翻弄される男たちの駆け引きや嫉妬と、情熱的な闘牛の描写が話の軸となっている。

 駆け引きの中で、男がブレットから身を引いて、相手に譲る印象的なシーンが二か所ある。一か所目は、老いた伯爵がダンスフロアでジェイクに彼女を譲るシーンだ。

 

 『「ブレットが帰るそうです」そう言うと、伯爵がうなずいた。「そうか。いいとも。車を使ってくれたまえ、バーンズ殿。わしはしばらくここに残るので」

  私たちは握手した。

 「楽しかったですよ」私はそう言って、「ここの払いを負担させてもらえますか」とポケットから札を取り出した。

 「ばかはやめなされ、バーンズ殿」と伯爵が言った。』

 

 次は、ジェイクが譲るシーン。相手は将来有望な若き闘牛士、ペドロ・ロメロである。ブレットの望み通り、ジェイクは彼女を連れて、ロメロのいるカフェを訪れる。彼は仲間に断って、二人のいるテーブルに挨拶にくる。

 

 『私は立ち上がった。ロメロも立った。

 「そのまま」と私は言った。「ちょっと出て仲間を探さねば。連れて戻るよ」

  ロメロは私を見た。了解ずみであることを確認する最後の一瞥。了解は成立していた。

 「すわって」とブレットが言った。「わたしにスペイン語を教えて」

  ロメロはすわり、テーブル越しにブレットを見た。私は店を出た。闘牛士が集うテーブルから、厳しい目が私の退出を見ていた。とても不快だった。二十分後、カフェに戻ると、ブレットとロメロの姿はなく、テーブルにはコーヒーカップと、空になった三個のコニャックグラスが残されていた。布巾を持ったウェーターが来て、グラスを片付け、テーブルを拭いた。』

 

 

 闘牛では、雄牛どうしの喧嘩を避けるために、去勢牛を何頭か柵囲いに入れておく。ジェイクは性的不能者だが、去勢牛について説明しているとき、どこか自分に重ね合わせているように感じられる。

 

 『「去勢牛は何もしないのかい」

  「しない……というか、仲良くしようとする」

  「何のための去勢牛だ」

  「雄牛を落ち着かせるためさ。そうしないと、石の壁にぶつかって角を折ったり、喧嘩を始めたりするからな」

  「去勢牛って大変だな」』

 

 ジェイクは、ブレットを巡る男たちの争いから一歩引いた態度をとる。積極的に争奪戦に参加することはなく、語り手として客観的に眺めている。しかし、去勢牛に徹することはできない。自分のアパートを訪ねてきたブレットは、外に待たせていた伯爵のリムジンに戻っていく。

 

 『階段でまたキスをした。玄関を頼みますと声をかけると、部屋の中で管理人が何やらぶつぶつ言うのが聞こえた。階段をのぼって部屋に戻り、開けっ放しの窓際に立った。アーク灯の下、歩道に寄せて大きなリムジンが止まっている。ブレットが歩いていくのが見えた。乗り込み、走り出した。私は部屋の中に向き直った。テーブルには空のグラスと、ブランデーソーダが半分残っているグラス――二つとも持ってキッチンに行き、飲み残しを流しに空けた。ダイニングのガス灯を消してベッドの縁に腰かけ、スリッパを蹴るようにぬいで、ベッドにもぐりこんだ。あれがブレット、泣きたいほどに思っていたブレットだ。通りを歩き、車に乗り込むブレットを私は思った。最後に見た姿のまま心に思い描いた。すると、またあの地獄のような惨めさがよみがえってきた。当然だ。昼間なら何があっても強がれる。だが、夜だとそうはいかない。』

 

  ハヤカワepi文庫「日はまた昇る土屋政雄

日はまた昇る〔新訳版〕 (ハヤカワepi文庫)

日はまた昇る〔新訳版〕 (ハヤカワepi文庫)