愧為読書誤一生

ブログという名の読書ノート

サムコ・ターレ「墓地の書」

 知的障害を持つサムコ・ターレは、アル中の占い師に「『墓地の書』を書き上げる」とのお告げを受け、雨が降ったから作家になることにした。実際の作者はダニエラ・カピターニョヴァーというスロヴァキアの女性作家である。

 サムコ・ターレは繰り返しの多い幼稚な文体で、自分の身の回りの人々や出来事をひたすら記述していく。子供のような目線からの記録が、そのまま社会主義体制崩壊により既存の価値観が逆転したスロヴァキア社会の諷刺になっている。

 『だって、ひとつだけとても嫌いなことがあるから。何もかもただなんとなく変わってしまって、もうすべてが違ってしまって、ところがいまがどんなふうなのかを教えてくれないから、以前といまが同じだと思っていると以前とはやっぱり違っていて、いまがどんなふうなのかを知らないのかと、みんなに馬鹿にされることだ。』

 マジックリアリズムの影響を受けたであろう異常な登場人物たちも魅力的だ。アル中のドイツ人で、アドゥラールという名前の石を使って占いをするグスト・ルーへ。肩から入って足から抜けた稲妻のおかげで神経関連の障害者になり、キノコ関連で特別な使命をになっていると思い込んでいる行方不明のオトおじさん。自分が死んだらズボンの前を開けてペニスが顔を出せるようにして、犬ころみたいな人類を見ないでいいよう目に黒いテープを貼り付ける様に頼んだ婦人服商人のミレル・アダム。誰かが座っているのを見ると恐ろしく腹をたてて罵り、決して座ることなく九十二歳まで生きたが、事故で尾てい骨を折ったことで医者にもう二度とふつうに座れないと言われ怒って死んでしまったチェトロヴェツ。

 サムコ・ターレは段ボールを集める仕事と、自らの勤勉さ・倹約心に自信を持っており、さらには共産党に対する忠誠心に誇りを抱いていた。民主化により社会は一変するが、当然サムコはその急速な流れについていけない。今まで善とされていたことをしているのに、みんなからは笑われ、後ろ指をさされることになる。彼からすれば、狂っているのは社会のほうだと思うのも当然であろう。

 

 

松籟社「墓地の書」木村英明訳

墓地の書 (東欧の想像力)

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