内田百閒「ノラや」
夏目漱石を師とし、陸軍士官学校や法政大学でドイツ語教授を務めるかたわら、幻想的な小説を得意とした内田百閒。気難しく厳格なイメージの強い百閒だが、七十歳間際に書かれたこの随筆は、かわいがっていた野良猫のノラが失踪して、人目も憚らずに毎日ボロボロ泣いている自分を書いたものだ。
百閒は元々猫好きではなく、家によく来ていた野良猫を世話してやっていたら、次第に愛着がわいて家に招き入れてやった。
『生の小あぢの筒切りのお皿の横に牛乳の壺が置いてある。彼は大概あぢの方を先に食べて、それから後口に牛乳を飲む。一合十五円の普通の牛乳では気に入らない。どうかすると横を向いてしまふ。二十一円のグワンジイ牛乳ならいつもよろこんで飲む。生意気な猫だと云いながら、ついつい猫のご機嫌を取る。』
そのノラがある日失踪する。垣根をくぐり木賊の繁みの中を抜けて出ていき、二度と帰らなかった。百閒は「ノラや、ノラや」と毎日泣き暮らし、家のあらゆるものが目に入るたびに、ノラとの触れ合いが思い出され泣き崩れる。迷い猫のチラシを新聞の折り込み広告に頼み、外国人宅に迷い込んでいる可能性も考えて、外字新聞用に英語の広告も作る。帰って来たノラが風呂場の蓋の上に敷いた座布団の上にまた寝られるようにと、毎日入っていた風呂にも二十日間入らない。ようやく座布団を片付けるが、風呂蓋に顔を押し付けて「ノラや、ノラや」と涙が止まらない。
しばらくして後、ノラによく似たこれも野良猫のクルツをまた家に招き入れる。五年ほどかわいがられたようだが、最後は病気で死んでしまう。ほとんど危篤状態だった十日間は、家族総出でつきっきりの看病をしたようだ。かわいそうでたまらずに毎日泣いていた百閒は、『猫は人を悲しませる為に人生に割り込んでゐるのか』と思い、二度と猫を飼うことはなかった。
『寒い風の吹く晩などに、門の扉が擦れ合って、軋む音がすると、私はひやりとする。そこいらに捨てられた子猫が、寒くて腹がへつて、ヒイヒイ泣いてゐるのであつたら、どうしよう。ほつておけば死んでしまふ。家に入れてやれば又ノラ、クルの苦労を繰り返す。子猫ではない、風の音だつた事を確めてから、ほつとする。』
中公文庫「ノラや」