愧為読書誤一生

ブログという名の読書ノート

大江健三郎「万延元年のフットボール」

 『夜明けまえの暗闇に眼ざめながら、熱い「期待」の感覚をもとめて、辛い夢の気分の残っている意識を手さぐりする。内臓を燃えあがらせて嚥下されるウイスキーの存在感のように、熱い「期待」の感覚が確実に躰の内奥に回復してきているのを、おちつかぬ気持ちで望んでいる手さぐりは、いつまでもむなしいままだ。…』

 冒頭からこうだ。手ごわい小説であることがわかる。初期短編「死者の奢り」など、大江作品はこのような重々しく息苦しい始まりが多い。軽い気持ちで手を出した読者を突き放すかのようで、書き手の覚悟・意気込みが伝わってくる。

 物語はグロテスクな精神構造を持った人物たちを中心に進んでゆく。顔を朱色に塗り、肛門に胡瓜を挿して全裸で縊死した友人。その友人を想いながら、裏庭の穴ぼこにうずくまる僕。障害児を出産し、現実逃避のためにアルコールに溺れる妻。学生運動に参加した後、アメリカを放浪してきた弟。弟の誘いにより、僕は妻を連れて自らの出生地である四国の谷間の村に向かう。弟は青年たちを集めてフットボールチームを組織し、天皇と呼ばれる朝鮮人が経営するスーパーマーケットに対しての暴動を指揮する。それは万延元年、曾祖父の弟が率いた一揆になぞらえたものであった。

 村の閉塞感と暴動による開放、過去と現在、行動する弟と傍観する僕など、様々な対比が用いられた重厚なストーリーである。また、筆者の出身地である大瀬村の神話化という、大江健三郎が以後追求していくこととなる文学的テーマが具体的に形作られていった作品でもある。

 

講談社文芸文庫万延元年のフットボール

万延元年のフットボール (講談社文芸文庫)

万延元年のフットボール (講談社文芸文庫)