愧為読書誤一生

ブログという名の読書ノート

大江健三郎「同時代ゲーム」

 小説というものは通常、読者を想定して書かれるものである。したがって、その物語について何の事前情報も持っていない、第三者としての読者に向けて書かれていく。

 しかしこの小説は、書き手が双生児の妹に向けて書いた、自分たちの出生地の神話と歴史についての手紙としての体裁をとっている。よって、手紙を読む相手は妹であるため、記載されている内容についてある程度の共通の知識を持っていることが前提とされているのだ。ゆえに物語は順序を追わず、ある固有名詞が既知のものとして説明が省略されたまま使用されたりする。この形式は小説中の一挿話として、または短編小説としてはよく使われるが、同時代ゲームは原稿用紙千枚分、すべてこの手紙としての体裁で書かれている。読者は冒頭から溢れる意味不明な固有名詞に当惑することになるのだ。

 

 『われわれの土地へ疎開してきた天体力学の専門家、アポ爺、ぺリ爺の二人組が、その谷間と「在」を、壊す人と創建者たちの構想から、村であり国家であり小宇宙ですらあると読みとったこと。その思い出を、かれらとの別れにかさねて忘れえぬ僕は、まずかれらの指示にしたがって、われわれの土地をそう呼ぶことから始めよう。かつて村=国家=小宇宙には、ひとりの新しい子が誕生すれば、もうひとりの嬰児の出産を待って対の二人をつくりだし、二人にしてひとつの戸籍に登録する仕組があった。それは創建期につづいた「自由時代」と呼ばれる長い時期の後、表層としては村=国家=小宇宙が、大日本帝国に屈服してのちに、もうひとつ深い層での抵抗の仕組みとしてつくられたものであった。ところがその仕組も、百年たたぬうち村=国家=小宇宙が大日本帝国との間に戦った、五十日戦争の敗北により崩壊した。この仕組の構想の根本を支えた壊す人にも、それを立てなおすまでの力はなかった。』

 

 冒頭より二段落目から、もうこの調子である。ここはまだ手紙の書きだしとして、この手紙の趣旨を簡略に告げている箇所であるため、これでもまだ小説の読者にとっては理解しやすいような記述となっているのだ。

 全編にわたって、奇想に基づいた、作者の出生地をモデルにした非現実的な神話と歴史が語られていく。通常の神話は、長い歴史の中で数々の伝承が積み重なってつくられていくものだが、大江健三郎はたった一人で、その想像力と構成力、文章力を駆使して神話を創りあげてしまった。あまりにも圧倒的な規模と、凄まじく巧みな筆力によって出来上がった幻惑的な物語は、読むものを強引に荒唐無稽な作品世界に引き込み、これは現実に起きた出来事ではないかと思わせてしまう。

 

 

新潮文庫 大江健三郎同時代ゲーム

同時代ゲーム (新潮文庫)

同時代ゲーム (新潮文庫)