愧為読書誤一生

ブログという名の読書ノート

芥川龍之介「疑惑」

 講演のために岐阜県下の大垣町に滞在する私は、ある夜、不気味な男の訪問を受ける。自分の身の上話を聞いてほしいとの頼みだ。

 

 中村玄道と名乗る男は、妻と二人で暮らしていた。明治二十四年の濃尾の大地震の時、家が倒壊し、妻の下半身が梁の下敷きとなってしまう。なんとか助け出そうとするが、どうにも仕様がない。迫りくる火の手に焼き殺されるのを気の毒に思った玄道は、妻の頭を一思いに瓦で叩き割る。

 周りに同情され、再婚の縁談さえ持ちかけられる玄道だが、彼の頭にはある疑惑が浮かんでくる。彼は妻を内心憎んでいたのだ。妻は肉体的に、ぼやかされてはいるがおそらくは性的な欠陥を抱えた女性だった。火に焼かれることを気の毒に思って殺したのではなく、殺すために殺したのではないか。この疑惑に苛まれていた玄道は、同僚から、あの大地震で生き残った女性の話を聞いてしまう。彼女は妻と同じように梁の下敷きとなったが、火事で梁が焼け折れて一命を取りとめたのだ。

 もはや自己弁護が不可能となった玄道は、婚約者の前にひれ伏してこう叫ぶ。『私は人殺しです。極重悪の罪人です。』

 

 中村玄道は一部始終を話し終えると、口元に微笑を浮かべながら言う。

 

 『「その以後の事は申し上げるまでもございますまい。が、ただ一つお耳に入れておきたいのは、当日限り私は狂人という名前を負わされて、憐れむべき余生を送らなければならなくなったことでございます。果たして私が狂人かどうか、そのようなことは一切先生のご判断にお任せいたしましょう。しかしたとえ狂人でございましても、私を狂人にいたしたものは、やはりわれわれ人間の心の底に潜んでいる怪物のせいではございますまいか。その怪物がおりますかぎり、今日私を狂人と嘲笑っている連中でさえ、明日はまた私と同様な狂人にならないものでもございません。――とまあ私は考えておるのでございますが、いかがなものでございましょう」』

 

 フリードリヒ・ニーチェは、その著書善悪の彼岸でこう書いている。

 『怪物と戦う者は、自分もそのため怪物とならないように用心するがよい。そして、君が長く深淵を覗き込むならば、深淵もまた君を覗き込む。』(146節 木場深定訳)

 玄道は自らの深淵を覗き込んでしまった。

 

 角川文庫「舞踏会・蜜柑」収録

舞踏会・蜜柑 (角川文庫)

舞踏会・蜜柑 (角川文庫)

 
 

 

岩波文庫善悪の彼岸」木場深定訳 

善悪の彼岸 (岩波文庫)

善悪の彼岸 (岩波文庫)

  • 作者:ニーチェ
  • 発売日: 1970/04/16
  • メディア: 文庫