知恵と慈悲〈ブッダ〉 仏教の思想1
仏教の思想は、昭和四十年代に角川書店から刊行された全十二巻に及ぶシリーズものであり、現在は角川ソフィア文庫で手に入れることができる。
四巻ごとにインド篇・中国篇・日本篇と分かれている。企画者は哲学者であり、第一部で仏教学者がテーマとなる思想の概論を担当、二部で仏教学者と哲学者が対談し、三部では哲学者が西洋哲学との対比から仏教思想を考察する形式が全巻で共通となる。宗教である仏教を思想として捉えなおすところに特徴がある。
第一巻は知恵と慈悲、仏教の教祖ブッダ・ゴータマの思想に焦点を当てている。日本において、仏教は中国を通じて伝わり、その後日本で独自の変化を遂げてきた。いわゆる原始仏教、ブッダの元々の教えそのものに触れてみる試みが本書ではなされている。
仏教学者の増谷文雄は、ブッダには二つの顔があると考える。思想家としての顔と、宗教者すなわち伝道者としての顔である。菩提樹のもとに座して悟りを開いた思想家のブッダは、正覚者の孤独を味わった。自己の中で悟り得たものを、次は人々の前で表現することに力を傾けるようになったのだ。
では、悟りを得るためには何が必要か。実践にあたってブッダが唱えたのは、四聖諦(四つの聖なる命題)であった。
曰く、
一「こは苦なり」
二「こは苦の生起なり」
三「こは苦の滅尽なり」
四「こは苦の滅尽にいたる道なり」
第一の命題は、我々の不安を意味する。永遠というものが存在せず、全てが無常であることから、我々は不安を感じる。
第二の命題は、その不安が何から生じるか。ブッダはこれを「渇愛(激しい欲望のいとなみ)」とする。所有欲・愛欲など、激しすぎる欲望によって人は不安になる。
第三の命題は、その不安を滅する方策となる。第二の命題から明らかなように、不安の要因となる渇愛を滅すれば、不安もまた滅することとなる。
第四の命題は、不安を滅する実践方法のことだ。その方法を、ブッダは「中道」という言葉で表す。「二つの極端を去って中道にたつ」。激しい欲望を捨て去るために、極端な禁欲主義にたつのではなく、あくまで中道にたつことが肝要であるという教えだ。これが仏教でいう、「聖なる八つの道」正見・正思・正語・正業・正命・正精進・正念・正定のことである。つまり、正しく物事を捉え、正しく思考し、正しく行動せよという教えとなる。
ブッダは死後の世界については語らなかった。キリストやソクラテスの激烈な死とは異なり、ブッダは安らかに死の床に横たわり、弟子たちに次の偈を説いて静かに死んでいった。
一切諸衆生 皆随有生死
我今亦生死 而不随於有
一切造作行 我今欲棄捨
すべて生きとし生けるものには生死がある。私にもまた生死があり、したがっていつまでも存在していることはできない。一切のことを、私は今捨てたいと思います。
極端なやり方で自らの命を捨てるようなことはしないが、生に執着することもない。これが中道である。