愧為読書誤一生

ブログという名の読書ノート

三島由紀夫「天人五衰 豊饒の海(四)」

 帝国信号通信所に勤める十六歳の少年安永透の左脇腹には、三つの黒子が並んでいた。松枝清顕の生まれ変わりであることを確信した本多繁邦は、彼を養子に迎えて、教育を施すことにする。松枝清顕、飯沼勲、ジン・ジャンの三人を襲った、二十歳で夭折する運命から守るためにである。

 透は次第に狡猾となり、本多に暴力をふるい、準禁治産宣告を下させて財産を早く奪い取ろうと画策するようになる。しかし本多はじっと耐え忍ぶ。彼は透が二十歳まで生きられないことを信じていたのだ。

 

『…何もかも知っている者の、甘い毒のにじんだ静かな愛で、透の死を予見しつつその横暴に耐えることには、或る種の快楽がなかったとはいえない。その時間の見通しの先では、蜉蝣の羽根のように愛らしく透いて見える透の暴虐。人間は自分より永生きする家畜は愛さないものだ。愛されることの条件は、生命の短さだった。』

 

 透は自らの運命を知ってしまう。しかし彼が恐れたのは、成人になっても自分が生き延びることであった。二十歳の誕生日を迎えることは、彼にとって、自分が転生の神秘を持つ天才ではなく、凡庸な相続人であることを意味した。誕生日の一カ月前に服毒自殺を図るが、両目の視力を失ったのみで、廃人のようになって二十歳を迎えることになる。

 透に転生の神秘を打ち砕かれた本多は、自らの死期をさとり、松枝清顕のかっての恋人、綾倉聡子に会いに行く。彼女は月修寺の門跡になっていた。松枝清顕の思い出、そして転生の話を聞いてもらおうとする本多に対し、八十三歳になる聡子は清らかな目を向けて言う。

 

『「その松枝清顕さんという方は、どういうお人やした?」

 …「えろう面白いお話やすけど、松枝さんという方は、存じませんな。その松枝さんのお相手のお方さんは、何やら人違いでっしゃろ」』

 

 門跡には少しもとぼけている様子も、からかっている様子もみられない。その理知的な話の仕方からは、老齢による記憶の喪失や混乱もみられない。

 呆然としている本多に、聡子は自慢の庭を紹介する。

 

『これといって奇巧のない、閑雅な、明るくひらいた御庭である。数珠を操るような蟬の声がここを領している。

 そのほかには何一つ音とてなく、寂寞を極めている。この庭には何もない。記憶もなければ何もないところへ、自分は来てしまったと本多は思った。

 庭は夏の日ざかりの日を浴びてしんとしている。……』

 

 豊饒の海四部作はこれで終わる。この天人五衰を書き終えたのは昭和四十五年十一月二十五日と記されている。同日、三島由紀夫は市ヶ谷駐屯地でクーデターを促して割腹自殺を行い、四十五年の生涯を終えている。 

 

 

新潮文庫天人五衰 豊饒の海(四)」

豊饒の海 第四巻 天人五衰 (てんにんごすい) (新潮文庫)

豊饒の海 第四巻 天人五衰 (てんにんごすい) (新潮文庫)