愧為読書誤一生

ブログという名の読書ノート

中上健次「岬」

 中上健次和歌山県被差別部落出身である。生まれ育った部落を「路地」と呼び、自らをモデルとした竹原秋幸を主人公に、「岬」「枯木灘」「地の果て 至上の時」の三部作を書いた。

 秋幸は血のつながりのない父と兄、そして実母と一緒に暮らしており、異父兄弟としてよそに暮らす三人の姉と一人の自殺した兄を持つ。実の父は浜村龍造というその地方で悪評高いゴロツキであり、浜村家の三人の子供は異母兄弟ということになるが、その家とは縁を切った状態だ。

 複雑な家庭に生まれた秋幸は、親族のいざこざに悩まされながらも、土方として懸命に働いていた。肉体労働が、彼の生い立ちに関する苦悩を和らげてくれる唯一のものだった。

 

『土方は、彼の性に合っている。一日、土をほじくり、すくいあげる。ミキサーを使って、砂とバラスとセメントと水を入れ、コンクリをこねる時もある。―中略―なにもかも正直だった。土には、人間の心のように綾というのもがない。彼は土方が好きだった。』

 

 実父の悪い噂を聞くたびに、秋幸は自らに流れる血を呪った。労働だけが秋幸の生きる意味であったが、一つの事件によってそれもままならなくなってしまう。姉が嫁いだ家で、兄妹間の殺人が起こる。生まれつき身体の弱い姉はそれを機に寝込み、精神衰弱になってしまう。秋幸はその姉の夫のもとで働いていた。

 姉が死んだ兄の仏壇を破壊しようとし、取り押さえられながら「殺せえ、殺せえ」とどなるのを無気力に見つめていた秋幸は、色街に繰り出す。実父が三人目の愛人に作らせた娘がそこで働いていることを知っていた。

 

『この女は妹だ、確かにそうだと思った。女と彼の心臓が、どきどき鳴っているのがわかった。愛しい、愛しい、と言っていた。獣のように尻をふりたて、なおかつ愛しいと思う自分を、どうすればよいのか、自分のどきどき鳴る心臓を手にとりだして、女の心臓の中にのめり込ませたい、くっつけ、こすりあわせたいと思った。―中略―いま、あの男の血があふれる、と彼は思った。』

 

 妹とまぐわうことは、秋幸にとって、父への復讐だった。

 

 

 文春文庫「岬」収録

岬 (文春文庫 な 4-1)

岬 (文春文庫 な 4-1)