愧為読書誤一生

ブログという名の読書ノート

安部公房「友達<改訂版>」

 安部公房の戯曲。冒頭に本人の作詞による「友達のブルース」の楽譜が載っている。

『夜の都会は

   糸がちぎれた首飾り

   あちらこちらに

   とび散って

   あたためてくれたあの胸は

   どこへ行ってしまった

   迷いっ子 迷いっ子』

 一人暮らしの男のもとに、九人家族が闖入してくる。説明もないまま居座り、共同生活のルールに従うよう要求してくる。何の権利があってこんなことをするのかと質問しても、これは義務であると言う。警察を呼ぶが、『何か、証拠があるかね?』と相手にされない。むしろ九人家族の疑いを知らない微笑に同調し、最後には家族に目配せをして引き返す始末だ。婚約者に相談するも、次男に妨害される。その間に婚約者の兄は、九人家族に説得され、すでにその思想に共感していた。それは隣人愛だという。

 大槻ケンヂはこのような話を、アリ地獄的シュールレアリズムと呼んだ。古くはフランツ・カフカが始め(審判・城など)、安部公房が受け継いだ。特にSF向きのテーマなのであろう。フィリップ・K・ディック、そして筒井康隆もこの手法を得意とする。筒井康隆はこの種の面白さを、不条理感覚と呼んでいる。

 次男の演奏するギター、ラジオからは随時友達のブルースが流れる。家族と男の滑稽な会話と合わさって、なんとも不思議な世界を演出する。男は最終的に靴箱に監禁され、最も慈愛に満ちた次女に殺されることになる。次女は静かにすすり泣きながら、『さからいさえしなければ、私たちなんか、ただの世間にしかすぎなかったのに……』。

 なんとも寓意に満ちた話である。読む人それぞれに解釈が存在するだろう。

 

新潮文庫「友達・棒になった男」収録

 

友達・棒になった男 (新潮文庫)

友達・棒になった男 (新潮文庫)

 

 

原型となった短編「闖入者」は、新潮文庫「水中都市・デンドロカカリヤ」収録

 

水中都市・デンドロカカリヤ (新潮文庫)

水中都市・デンドロカカリヤ (新潮文庫)