愧為読書誤一生

ブログという名の読書ノート

中上健次「枯木灘」

 「岬」の続編にあたる。

 二十六歳になった竹原秋幸は、土方として、義理の兄の組で現場監督を任されていた。肉体労働に励みながら、繰り返し脳裏に浮かぶのは実の父親、悪評高き浜村龍造についての思いである。

 

『…だが、人夫たち、近隣の人間ども、いや母や義父、姉たちの口からついてでる噂や話の自分が、ここにいる自分ではなくもう一人の秋幸という、入り組んだ関係の、あの、人に疎まれ憎まれ、そして別の者には畏れられうやまれた男がつくった二十六歳になる子供である気がしたのだった。「あの男はどこぞの王様みたいにふんぞりかえっとるわだ」いつぞや姉の美恵はそう言ってからかった。「蠅の糞みたいな王様かい」秋幸は言った。その蠅の王たる男にことごとくは原因したのだった。』

 

 秋幸は思いつき、父親を同じくするさと子を連れて龍造の家を訪れる。父への復讐の思いもあり、秋幸はさと子と関係を持ったことを伝える。

 

『「しょうないことじゃ、どこにでもあることじゃ」男は言った。低く声をたててわらった。「そんなこと気にすんな。秋幸とさと子に子供が出来て、たとえアホの子が出来ても、しょうないことじゃ。アホが出来たらまあ産んだもんはつらいじゃろが」

 「アホをつくったるわ」とさと子は言う。

 「つくれ、つくれ、アホでも何でもかまん。有馬の土地があるんじゃから、アホの孫の一人や二人どういうこともない」』

 

 龍造は秋幸の母ともさと子の母とも違う女性と所帯を持ち、女一人男二人の子供がいる。秋幸はその次男秀雄を、喧嘩の流れから石で殴り殺す。薄闇の中で秋幸は、「おまえの子供を、石で打ち倒した」「殺して、何が悪りんじゃ」「あいつが悪りんじゃ、あいつがおれに構うさかじゃ」と言う。彼には、義理の弟の顔が、父親に見えたのだろうか。

 

河出文庫枯木灘

枯木灘 (河出文庫)

枯木灘 (河出文庫)

 

 

中上健次「岬」

 中上健次和歌山県被差別部落出身である。生まれ育った部落を「路地」と呼び、自らをモデルとした竹原秋幸を主人公に、「岬」「枯木灘」「地の果て 至上の時」の三部作を書いた。

 秋幸は血のつながりのない父と兄、そして実母と一緒に暮らしており、異父兄弟としてよそに暮らす三人の姉と一人の自殺した兄を持つ。実の父は浜村龍造というその地方で悪評高いゴロツキであり、浜村家の三人の子供は異母兄弟ということになるが、その家とは縁を切った状態だ。

 複雑な家庭に生まれた秋幸は、親族のいざこざに悩まされながらも、土方として懸命に働いていた。肉体労働が、彼の生い立ちに関する苦悩を和らげてくれる唯一のものだった。

 

『土方は、彼の性に合っている。一日、土をほじくり、すくいあげる。ミキサーを使って、砂とバラスとセメントと水を入れ、コンクリをこねる時もある。―中略―なにもかも正直だった。土には、人間の心のように綾というのもがない。彼は土方が好きだった。』

 

 実父の悪い噂を聞くたびに、秋幸は自らに流れる血を呪った。労働だけが秋幸の生きる意味であったが、一つの事件によってそれもままならなくなってしまう。姉が嫁いだ家で、兄妹間の殺人が起こる。生まれつき身体の弱い姉はそれを機に寝込み、精神衰弱になってしまう。秋幸はその姉の夫のもとで働いていた。

 姉が死んだ兄の仏壇を破壊しようとし、取り押さえられながら「殺せえ、殺せえ」とどなるのを無気力に見つめていた秋幸は、色街に繰り出す。実父が三人目の愛人に作らせた娘がそこで働いていることを知っていた。

 

『この女は妹だ、確かにそうだと思った。女と彼の心臓が、どきどき鳴っているのがわかった。愛しい、愛しい、と言っていた。獣のように尻をふりたて、なおかつ愛しいと思う自分を、どうすればよいのか、自分のどきどき鳴る心臓を手にとりだして、女の心臓の中にのめり込ませたい、くっつけ、こすりあわせたいと思った。―中略―いま、あの男の血があふれる、と彼は思った。』

 

 妹とまぐわうことは、秋幸にとって、父への復讐だった。

 

 

 文春文庫「岬」収録

岬 (文春文庫 な 4-1)

岬 (文春文庫 な 4-1)

 

 

三島由紀夫「天人五衰 豊饒の海(四)」

 帝国信号通信所に勤める十六歳の少年安永透の左脇腹には、三つの黒子が並んでいた。松枝清顕の生まれ変わりであることを確信した本多繁邦は、彼を養子に迎えて、教育を施すことにする。松枝清顕、飯沼勲、ジン・ジャンの三人を襲った、二十歳で夭折する運命から守るためにである。

 透は次第に狡猾となり、本多に暴力をふるい、準禁治産宣告を下させて財産を早く奪い取ろうと画策するようになる。しかし本多はじっと耐え忍ぶ。彼は透が二十歳まで生きられないことを信じていたのだ。

 

『…何もかも知っている者の、甘い毒のにじんだ静かな愛で、透の死を予見しつつその横暴に耐えることには、或る種の快楽がなかったとはいえない。その時間の見通しの先では、蜉蝣の羽根のように愛らしく透いて見える透の暴虐。人間は自分より永生きする家畜は愛さないものだ。愛されることの条件は、生命の短さだった。』

 

 透は自らの運命を知ってしまう。しかし彼が恐れたのは、成人になっても自分が生き延びることであった。二十歳の誕生日を迎えることは、彼にとって、自分が転生の神秘を持つ天才ではなく、凡庸な相続人であることを意味した。誕生日の一カ月前に服毒自殺を図るが、両目の視力を失ったのみで、廃人のようになって二十歳を迎えることになる。

 透に転生の神秘を打ち砕かれた本多は、自らの死期をさとり、松枝清顕のかっての恋人、綾倉聡子に会いに行く。彼女は月修寺の門跡になっていた。松枝清顕の思い出、そして転生の話を聞いてもらおうとする本多に対し、八十三歳になる聡子は清らかな目を向けて言う。

 

『「その松枝清顕さんという方は、どういうお人やした?」

 …「えろう面白いお話やすけど、松枝さんという方は、存じませんな。その松枝さんのお相手のお方さんは、何やら人違いでっしゃろ」』

 

 門跡には少しもとぼけている様子も、からかっている様子もみられない。その理知的な話の仕方からは、老齢による記憶の喪失や混乱もみられない。

 呆然としている本多に、聡子は自慢の庭を紹介する。

 

『これといって奇巧のない、閑雅な、明るくひらいた御庭である。数珠を操るような蟬の声がここを領している。

 そのほかには何一つ音とてなく、寂寞を極めている。この庭には何もない。記憶もなければ何もないところへ、自分は来てしまったと本多は思った。

 庭は夏の日ざかりの日を浴びてしんとしている。……』

 

 豊饒の海四部作はこれで終わる。この天人五衰を書き終えたのは昭和四十五年十一月二十五日と記されている。同日、三島由紀夫は市ヶ谷駐屯地でクーデターを促して割腹自殺を行い、四十五年の生涯を終えている。 

 

 

新潮文庫天人五衰 豊饒の海(四)」

豊饒の海 第四巻 天人五衰 (てんにんごすい) (新潮文庫)

豊饒の海 第四巻 天人五衰 (てんにんごすい) (新潮文庫)

 

 

三島由紀夫「暁の寺 豊饒の海(三)」

 松枝清顕の親友本多繁邦は、五十代になっていた。

 弁護士として大成し資産家となった本多は、自ら「客観性の病」と呼ぶ、覗きの趣味を覚えていた。松枝清顕の生まれ変わりと思われる、日本に留学中であるタイの王女ジン・ジャンに思いを寄せ、御殿場二ノ岡の別荘に招き寄せる。

 夜も深まったころ、隣の書斎からジン・ジャンの部屋を覗く。すると彼女は、隣の別荘のオーナーであり、在日アメリカ軍の将校を情夫にしている久松慶子と濃厚に絡まりあっていた。そして彼女の左脇には、清顕そして飯沼勲と同じく、昴を思わせる三つの小さな黒子が並んでいた。

 

 タイやインドの熱気と神秘思想を背景に、輪廻転生の思想を深く追求した語りの中で、老いの醜さというものが執拗に描かれている。右翼団体を率いていた勲の父飯沼は、貧困を窺わせる身なりで金の無心に来る。本多の従順な妻であった梨枝は、腎臓の持病から顔に浮腫が出て、言葉の端々に嫌味を滲ませた話し方になっている。

 かって清顕の恋人であり、今は出家した聡子の世話人蓼科は九十五歳になっていた。

 

『さるにても蓼科の老いは凄まじかった!その濃い白粉で隠されている肌には、老いの苔が全身にはびこり、しかもこまかい非人間的な理智は、死者の懐ろで時を刻みつづける懐中時計のように、なお小まめに働いているのが感じられた。』

 

 三島由紀夫が四十五歳で自刃したのは、老いへの抵抗、あるいは恐怖でもあったのかもしれない。

 

新潮文庫暁の寺 豊饒の海(三)」

豊饒の海 第三巻 暁の寺 (あかつきのてら) (新潮文庫)

豊饒の海 第三巻 暁の寺 (あかつきのてら) (新潮文庫)

 

 

三島由紀夫「奔馬 豊饒の海(ニ)」

 1876年、構成員の多くが神職からなる熊本の神風連は、明治政府の近代化政策に不満を抱き反乱を起こした。

 松枝清顕の生まれ変わりである飯沼勲は、神風連の伝説に傾倒していた。昭和の神風連を目指す勲は、学校で同志を集め、腐敗した政治家や財界人を殺害したのち、昇る日輪を拝しながら自刃することを夢見ていた。

 しかし後ろ盾となっていた軍人の支援が望めなくなると、仲間たちは一人二人と離脱していく。それでも勲は計画を縮小しつつも、決行の決意を曲げなかった。明後日に計画を控えた日、一部の人間にしか教えていない隠れ家に警察が踏み込み、全員逮捕されてしまう。

 裁判により刑を免除された勲は、警察に密告したのは自らの父親であり、さらに父親に隠れ家の場所を教えたのは、恋人の慎子であることを知ることとなる。信じる者たちにことごとく裏切られた勲は、涙を流しながら父に訴える。

 

『「僕は幻のために生き、幻をめがけて行動し、幻によって罰せられたわけですね。……どうか幻でないものがほしいと思います」

 「大人になればそれが手に入るのだよ」

 「大人になるより、……そうだ、女に生れ変ったらいいかもしれません。女なら、幻など追わんで生きられるでしょう、母さん」

 勲は亀裂が生じたように笑った。』

 

 勲は監視の目を盗んで逃げだし、財界の大物蔵原武介を殺害する。追手が迫っていたため、日の出まで自刃を待つことはできない。段々畑に身を潜め、夜の海を前に切腹する。

 

『正に刀を腹に突き立てた瞬間、日輪は瞼の裏に赫奕と昇った。』

 

 

 三島由紀夫豊饒の海四部作を書き終えたあと、自衛隊のクーデターを呼びかけて割腹自殺をしている。三島の瞼の裏に、赫奕たる日輪は昇ったであろうか。

 

 

新潮文庫奔馬 豊饒の海(二)」

豊饒の海 第二巻 奔馬 (ほんば) (新潮文庫)

豊饒の海 第二巻 奔馬 (ほんば) (新潮文庫)

 

 

三島由紀夫「春の雪 豊饒の海(一)」

 三島由紀夫が傾倒していたフランスの哲学者ジョルジュ・バタイユは、禁忌(タブー)の侵犯こそがエロティシズムの本質であると著書「エロティシズム」で書いている。「春の雪」は、この思想を小説において表現したものだ。

 大正時代、侯爵家の跡取りである松枝清顕は、幼馴染の綾倉聡子と恋仲になりかけるが、些細な出来事でプライドを傷つけられる。以後、手紙や電話による再三の呼びかけに一切応じず、無視を貫きとおす。そのなかで、聡子に皇族との縁談の話が持ち上がる。綾倉家の存続を担った縁談であるが、それでも聡子は清顕への思いを断ち切れない。しかし清顕は綾倉家からの電話をすべて拒み、彼女からの長文の恋文も封すら開けずに燃やしてしまう。遂に勅許が下り、聡子と洞院宮第三王子治典王殿下との婚約が成立する。

 

【 ……高い喇叭の響きのようなものが、清顕の心に湧きのぼった。

 『僕は聡子に恋している』

 いかなる見地からしても寸分も疑わしいところのないこんな感情を、彼が持ったのは生まれてはじめてだった。

 『優雅というものは禁を犯すものだ、それも至高の禁を』と彼は考えた。この観念がはじめて彼に、久しい間堰き止められていた真の肉感を教えた。思えば彼の、ただたゆたうばかりの肉感は、こんな強い観念の支柱をひそかに求めつづけていたのにちがいない。彼が本当に自分にふさわしい役割を見つけ出すには、何と手間がかかったことだろう。

 『今こそ僕は聡子に恋している』

 この感情の正しさと確実さを証明するためには、ただそれが絶対不可能なものになったというだけで十分だった。】

 

 言うまでもなく、皇族の婚約者に手を出すことは最大のタブーである。本人はもちろんのこと、松枝侯爵家の完全なる破滅も免れない。しかし清顕の望んでいたものはそれであった。彼は聡子に半ば脅しめいた誘いをかけ、将来の破滅に彩られた官能的な夜を幾度も過ごし、妊娠させてしまう。激怒した両家の当主は極秘裏に堕胎させるが、聡子はそのまま剃髪して出家し、俗世を捨ててしまう。未練を断ち切れない清顕は、雪の中長い参道を毎日通いつめて面会を乞うが、叶わぬままに肺炎で死ぬ。死の前に、親友の本多繁邦にこう言い残して。

 

 『「今、夢を見ていた。又、会うぜ。きっと会う。滝の下で」』

 

 「春の雪」は、豊饒の海四部作の第一作目である。夢と転生の物語である豊饒の海は、以後、松枝清顕の生まれ変わりである人物をそれぞれ主人公に据えて進行していく。

 

新潮文庫「春の雪 豊饒の海(一)」

豊饒の海 第一巻 春の雪 (新潮文庫)

豊饒の海 第一巻 春の雪 (新潮文庫)

 

 

サムコ・ターレ「墓地の書」

 知的障害を持つサムコ・ターレは、アル中の占い師に「『墓地の書』を書き上げる」とのお告げを受け、雨が降ったから作家になることにした。実際の作者はダニエラ・カピターニョヴァーというスロヴァキアの女性作家である。

 サムコ・ターレは繰り返しの多い幼稚な文体で、自分の身の回りの人々や出来事をひたすら記述していく。子供のような目線からの記録が、そのまま社会主義体制崩壊により既存の価値観が逆転したスロヴァキア社会の諷刺になっている。

 『だって、ひとつだけとても嫌いなことがあるから。何もかもただなんとなく変わってしまって、もうすべてが違ってしまって、ところがいまがどんなふうなのかを教えてくれないから、以前といまが同じだと思っていると以前とはやっぱり違っていて、いまがどんなふうなのかを知らないのかと、みんなに馬鹿にされることだ。』

 マジックリアリズムの影響を受けたであろう異常な登場人物たちも魅力的だ。アル中のドイツ人で、アドゥラールという名前の石を使って占いをするグスト・ルーへ。肩から入って足から抜けた稲妻のおかげで神経関連の障害者になり、キノコ関連で特別な使命をになっていると思い込んでいる行方不明のオトおじさん。自分が死んだらズボンの前を開けてペニスが顔を出せるようにして、犬ころみたいな人類を見ないでいいよう目に黒いテープを貼り付ける様に頼んだ婦人服商人のミレル・アダム。誰かが座っているのを見ると恐ろしく腹をたてて罵り、決して座ることなく九十二歳まで生きたが、事故で尾てい骨を折ったことで医者にもう二度とふつうに座れないと言われ怒って死んでしまったチェトロヴェツ。

 サムコ・ターレは段ボールを集める仕事と、自らの勤勉さ・倹約心に自信を持っており、さらには共産党に対する忠誠心に誇りを抱いていた。民主化により社会は一変するが、当然サムコはその急速な流れについていけない。今まで善とされていたことをしているのに、みんなからは笑われ、後ろ指をさされることになる。彼からすれば、狂っているのは社会のほうだと思うのも当然であろう。

 

 

松籟社「墓地の書」木村英明訳

墓地の書 (東欧の想像力)

墓地の書 (東欧の想像力)