芥川龍之介「黒衣聖母」
マリア観音とは、聖母マリアに擬せられた観音菩薩像をいう。江戸時代、禁教令により弾圧されていたキリシタンたちが、密かに信仰の対象とするためにつくったものだ。
両親を亡くした稲見姉弟は、七十を越した祖母の手に育てられていた。弟は八つばかりの時、重い麻疹にかかり、もう今日か明日の容体になってしまう。祖母は姉を土蔵に連れて行き、白木のお宮を開くと、黒檀のマリア観音像が端然と立っている。祖母は十字を切り長い祈禱をあげ、『…せめては私の息のござりますかぎり、茂作の命をお助けくださいまし。…』と願をかける。
明くる日、弟の病気は回復の兆しをみせてきた。祖母は涙を流して喜び、看病疲れから横になった。だが、呼びかけに応じないことに不審を抱いた女中がそばに行くと、祖母は既に絶命していた。それから十分ばかりのうちに、弟も息を引き取った。
『…麻利耶観音は約束どおり、祖母の命のある間は、茂作を殺さずにおいたのです。』
このマリア観音の台座の銘には、横文字でこう刻んである。
DESINE FATA DEUM LECTI SPERARE PRECANDO…
「汝の祈禱、神々の定めたもうところを動かすべしと望むなかれ」
角川文庫「杜子春」収録
中上健次「地の果て 至上の時」
三年間の服役を終えて地元に帰った秋幸は、生まれ育った「路地」が都市化に伴い消滅しているのを目にする。故郷を更地にしたのは、実父の浜村龍造であった。
かつて「路地」であった跡地は、自らをジンギスカンの末裔と称する覚醒剤中毒者のヨシ兄率いる浮浪者集団が占拠していた。彼は元々「路地」の住民であり、この地にビルの建築を予定している建設業者とたびたび問題を起こす。業者の中には、秋幸とともにこの地で育った姉の亭主も混ざっている。
経済的な豊かさを求める都市化の推進と、住民たちが共存してきた熊野の自然を破壊することへの反発が、変わりゆく故郷で複雑に織り交ざっていた。「水の信心」という新興宗教団体は、身体に溜まった毒素を消し去るために、土地の方々から湧き出ている清水を飲むことを強制する。問題を起こす人物は、全裸で信心の道場に閉じ込められ、何日も物を食わせずただ水だけを飲ませ、朝夕と穢れを取るため体を竹ぼうきで打たれ続ける。
故郷の消滅と都市化が話の主軸とされているが、根底に流れるのは秋幸と実父龍造の対立である。秋幸に流れるのは父の血であり、秋幸を育んだのは「路地」なのだ。「路地」を消し去ったのは龍造だが、秋幸に流れる血を消し去ることはできない。父を殺すこと、そして自らが死ぬことが、血を絶つための唯一の手段である。秋幸と龍造は、お互いに向けられた殺意を充分に知りながら、腹の探り合いをすることになる。
講談社文芸文庫『地の果て 至上の時』
中上健次「枯木灘」
「岬」の続編にあたる。
二十六歳になった竹原秋幸は、土方として、義理の兄の組で現場監督を任されていた。肉体労働に励みながら、繰り返し脳裏に浮かぶのは実の父親、悪評高き浜村龍造についての思いである。
『…だが、人夫たち、近隣の人間ども、いや母や義父、姉たちの口からついてでる噂や話の自分が、ここにいる自分ではなくもう一人の秋幸という、入り組んだ関係の、あの、人に疎まれ憎まれ、そして別の者には畏れられうやまれた男がつくった二十六歳になる子供である気がしたのだった。「あの男はどこぞの王様みたいにふんぞりかえっとるわだ」いつぞや姉の美恵はそう言ってからかった。「蠅の糞みたいな王様かい」秋幸は言った。その蠅の王たる男にことごとくは原因したのだった。』
秋幸は思いつき、父親を同じくするさと子を連れて龍造の家を訪れる。父への復讐の思いもあり、秋幸はさと子と関係を持ったことを伝える。
『「しょうないことじゃ、どこにでもあることじゃ」男は言った。低く声をたててわらった。「そんなこと気にすんな。秋幸とさと子に子供が出来て、たとえアホの子が出来ても、しょうないことじゃ。アホが出来たらまあ産んだもんはつらいじゃろが」
「アホをつくったるわ」とさと子は言う。
「つくれ、つくれ、アホでも何でもかまん。有馬の土地があるんじゃから、アホの孫の一人や二人どういうこともない」』
龍造は秋幸の母ともさと子の母とも違う女性と所帯を持ち、女一人男二人の子供がいる。秋幸はその次男秀雄を、喧嘩の流れから石で殴り殺す。薄闇の中で秋幸は、「おまえの子供を、石で打ち倒した」「殺して、何が悪りんじゃ」「あいつが悪りんじゃ、あいつがおれに構うさかじゃ」と言う。彼には、義理の弟の顔が、父親に見えたのだろうか。
中上健次「岬」
中上健次は和歌山県の被差別部落出身である。生まれ育った部落を「路地」と呼び、自らをモデルとした竹原秋幸を主人公に、「岬」「枯木灘」「地の果て 至上の時」の三部作を書いた。
秋幸は血のつながりのない父と兄、そして実母と一緒に暮らしており、異父兄弟としてよそに暮らす三人の姉と一人の自殺した兄を持つ。実の父は浜村龍造というその地方で悪評高いゴロツキであり、浜村家の三人の子供は異母兄弟ということになるが、その家とは縁を切った状態だ。
複雑な家庭に生まれた秋幸は、親族のいざこざに悩まされながらも、土方として懸命に働いていた。肉体労働が、彼の生い立ちに関する苦悩を和らげてくれる唯一のものだった。
『土方は、彼の性に合っている。一日、土をほじくり、すくいあげる。ミキサーを使って、砂とバラスとセメントと水を入れ、コンクリをこねる時もある。―中略―なにもかも正直だった。土には、人間の心のように綾というのもがない。彼は土方が好きだった。』
実父の悪い噂を聞くたびに、秋幸は自らに流れる血を呪った。労働だけが秋幸の生きる意味であったが、一つの事件によってそれもままならなくなってしまう。姉が嫁いだ家で、兄妹間の殺人が起こる。生まれつき身体の弱い姉はそれを機に寝込み、精神衰弱になってしまう。秋幸はその姉の夫のもとで働いていた。
姉が死んだ兄の仏壇を破壊しようとし、取り押さえられながら「殺せえ、殺せえ」とどなるのを無気力に見つめていた秋幸は、色街に繰り出す。実父が三人目の愛人に作らせた娘がそこで働いていることを知っていた。
『この女は妹だ、確かにそうだと思った。女と彼の心臓が、どきどき鳴っているのがわかった。愛しい、愛しい、と言っていた。獣のように尻をふりたて、なおかつ愛しいと思う自分を、どうすればよいのか、自分のどきどき鳴る心臓を手にとりだして、女の心臓の中にのめり込ませたい、くっつけ、こすりあわせたいと思った。―中略―いま、あの男の血があふれる、と彼は思った。』
妹とまぐわうことは、秋幸にとって、父への復讐だった。
文春文庫「岬」収録
三島由紀夫「天人五衰 豊饒の海(四)」
帝国信号通信所に勤める十六歳の少年安永透の左脇腹には、三つの黒子が並んでいた。松枝清顕の生まれ変わりであることを確信した本多繁邦は、彼を養子に迎えて、教育を施すことにする。松枝清顕、飯沼勲、ジン・ジャンの三人を襲った、二十歳で夭折する運命から守るためにである。
透は次第に狡猾となり、本多に暴力をふるい、準禁治産宣告を下させて財産を早く奪い取ろうと画策するようになる。しかし本多はじっと耐え忍ぶ。彼は透が二十歳まで生きられないことを信じていたのだ。
『…何もかも知っている者の、甘い毒のにじんだ静かな愛で、透の死を予見しつつその横暴に耐えることには、或る種の快楽がなかったとはいえない。その時間の見通しの先では、蜉蝣の羽根のように愛らしく透いて見える透の暴虐。人間は自分より永生きする家畜は愛さないものだ。愛されることの条件は、生命の短さだった。』
透は自らの運命を知ってしまう。しかし彼が恐れたのは、成人になっても自分が生き延びることであった。二十歳の誕生日を迎えることは、彼にとって、自分が転生の神秘を持つ天才ではなく、凡庸な相続人であることを意味した。誕生日の一カ月前に服毒自殺を図るが、両目の視力を失ったのみで、廃人のようになって二十歳を迎えることになる。
透に転生の神秘を打ち砕かれた本多は、自らの死期をさとり、松枝清顕のかっての恋人、綾倉聡子に会いに行く。彼女は月修寺の門跡になっていた。松枝清顕の思い出、そして転生の話を聞いてもらおうとする本多に対し、八十三歳になる聡子は清らかな目を向けて言う。
『「その松枝清顕さんという方は、どういうお人やした?」
…「えろう面白いお話やすけど、松枝さんという方は、存じませんな。その松枝さんのお相手のお方さんは、何やら人違いでっしゃろ」』
門跡には少しもとぼけている様子も、からかっている様子もみられない。その理知的な話の仕方からは、老齢による記憶の喪失や混乱もみられない。
呆然としている本多に、聡子は自慢の庭を紹介する。
『これといって奇巧のない、閑雅な、明るくひらいた御庭である。数珠を操るような蟬の声がここを領している。
そのほかには何一つ音とてなく、寂寞を極めている。この庭には何もない。記憶もなければ何もないところへ、自分は来てしまったと本多は思った。
庭は夏の日ざかりの日を浴びてしんとしている。……』
豊饒の海四部作はこれで終わる。この天人五衰を書き終えたのは昭和四十五年十一月二十五日と記されている。同日、三島由紀夫は市ヶ谷駐屯地でクーデターを促して割腹自殺を行い、四十五年の生涯を終えている。
豊饒の海 第四巻 天人五衰 (てんにんごすい) (新潮文庫)
- 作者: 三島由紀夫
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三島由紀夫「暁の寺 豊饒の海(三)」
松枝清顕の親友本多繁邦は、五十代になっていた。
弁護士として大成し資産家となった本多は、自ら「客観性の病」と呼ぶ、覗きの趣味を覚えていた。松枝清顕の生まれ変わりと思われる、日本に留学中であるタイの王女ジン・ジャンに思いを寄せ、御殿場二ノ岡の別荘に招き寄せる。
夜も深まったころ、隣の書斎からジン・ジャンの部屋を覗く。すると彼女は、隣の別荘のオーナーであり、在日アメリカ軍の将校を情夫にしている久松慶子と濃厚に絡まりあっていた。そして彼女の左脇には、清顕そして飯沼勲と同じく、昴を思わせる三つの小さな黒子が並んでいた。
タイやインドの熱気と神秘思想を背景に、輪廻転生の思想を深く追求した語りの中で、老いの醜さというものが執拗に描かれている。右翼団体を率いていた勲の父飯沼は、貧困を窺わせる身なりで金の無心に来る。本多の従順な妻であった梨枝は、腎臓の持病から顔に浮腫が出て、言葉の端々に嫌味を滲ませた話し方になっている。
かって清顕の恋人であり、今は出家した聡子の世話人蓼科は九十五歳になっていた。
『さるにても蓼科の老いは凄まじかった!その濃い白粉で隠されている肌には、老いの苔が全身にはびこり、しかもこまかい非人間的な理智は、死者の懐ろで時を刻みつづける懐中時計のように、なお小まめに働いているのが感じられた。』
三島由紀夫が四十五歳で自刃したのは、老いへの抵抗、あるいは恐怖でもあったのかもしれない。
三島由紀夫「奔馬 豊饒の海(ニ)」
1876年、構成員の多くが神職からなる熊本の神風連は、明治政府の近代化政策に不満を抱き反乱を起こした。
松枝清顕の生まれ変わりである飯沼勲は、神風連の伝説に傾倒していた。昭和の神風連を目指す勲は、学校で同志を集め、腐敗した政治家や財界人を殺害したのち、昇る日輪を拝しながら自刃することを夢見ていた。
しかし後ろ盾となっていた軍人の支援が望めなくなると、仲間たちは一人二人と離脱していく。それでも勲は計画を縮小しつつも、決行の決意を曲げなかった。明後日に計画を控えた日、一部の人間にしか教えていない隠れ家に警察が踏み込み、全員逮捕されてしまう。
裁判により刑を免除された勲は、警察に密告したのは自らの父親であり、さらに父親に隠れ家の場所を教えたのは、恋人の慎子であることを知ることとなる。信じる者たちにことごとく裏切られた勲は、涙を流しながら父に訴える。
『「僕は幻のために生き、幻をめがけて行動し、幻によって罰せられたわけですね。……どうか幻でないものがほしいと思います」
「大人になればそれが手に入るのだよ」
「大人になるより、……そうだ、女に生れ変ったらいいかもしれません。女なら、幻など追わんで生きられるでしょう、母さん」
勲は亀裂が生じたように笑った。』
勲は監視の目を盗んで逃げだし、財界の大物蔵原武介を殺害する。追手が迫っていたため、日の出まで自刃を待つことはできない。段々畑に身を潜め、夜の海を前に切腹する。
『正に刀を腹に突き立てた瞬間、日輪は瞼の裏に赫奕と昇った。』
三島由紀夫は豊饒の海四部作を書き終えたあと、自衛隊のクーデターを呼びかけて割腹自殺をしている。三島の瞼の裏に、赫奕たる日輪は昇ったであろうか。